転職を繰り返して無職になったアラフォー女の再起ブログ

超ブラックの編プロ→プチブラックの零細出版社→まったり小規模出版社→PVがすべてのITベンチャー→大手出版社の業務委託(作業要員)を経験したのち、出産を機に退職して専業主婦という名の無職に。現在はバイトとフリーランスで生活しています。

不安障害からのうつ病。

知能検査を受ける1週間前に、精神科でうつ病の診断を受けた。

はっきりうつ病だといわれたのは初めてだった。

もともと不安が強い性格でそこからうつ病になっているそうだ。

 

いままでうつっぽくなることは何度かあったけど、なんやかんやで気にしなくていい感じになって、気づいたら良くなっていることが多かったのだけど、今回の就活難はさすがに乗り越えられそうになく、自分の中でもかなりメンタルが落ちてしまった。

 

ただ闇雲にエントリーしてもダメだし、そもそも求人を眺める気力さえない。

人生で人より多く就活してきたのに、さすがにもうできなくなってしまった。

これから一生バイトパート生活なのかも。

 

毎日寝ていたい。

毎朝起きるのがつらい。

 

ふと思った。

子どもから見たら、家で布団かぶって寝てるだけのお母さんって、めっちゃめんどくさい存在だなって。

自分の親だったら嫌だなって。

うちの子、親ガチャ失敗。

 

4月から子どもは保育園。

そのためにわたしは正社員かフリーランス掛け持ちで働く予定だったけど、採用されなかったので諦めて片道1時間半もかかる会社で事務のバイトをする予定です。フリーランスと掛け持ちで。

うつなのに務まるんかな。

 

 

 

 

39歳、知能検査を受けてきた。

ずっと気になっていた知能検査を受けてきた。

私が受けたのはWAIS-Ⅳ (IQテスト・発達障害テスト)。

ペーパーテストみたいなのを想定したいたから、心理士とマンツーマンでやる感じが意外だった。

詳しい内容は今後検査を受ける人に影響を与えるから書いちゃいけないようなので割愛するけど、全部で2時間くらいかかったかな。

 

39歳で知能検査を受けた理由としては、

子どもの頃から自分が頭が悪いのでは、と内心思っていたこと

もう一つは人から好かれないというか何もしてないのにいじめの対象になりがちだったから。

 

あと確か小学生のときに知能検査を学校で受けてて、すごく低かった(自分の想定より)記憶がある。

確か80台だった気がする。今調べると境界知能って言われるライン。

もし今までの生きづらさが知能の問題なのであれば、転職活動や資格取得など、(他の人だったら簡単にできるが自分にとっては)困難なことを頑張るよりも福祉を頼って生きていく方がいいのではないかと思った。

 

つまり障害者として生きていくということ。

だけど軽度知的までいかないと実際は福祉の対象ではないみたいだし、

かなり中途半端な存在になるんだろうな。

ただ確実に発達障害(たぶんADHD)はあるので、その辺はどうなのだろう。

何か手帳でもとれるのかな。

 

 

そういえば自分の兄はIQ120あって、確かに子どもの頃は頭良いと言われていた。(途中から怠け者になったけど)

兄は小5で珠算1級とってて、わたしは小5で珠算3級を5回落ちてた。

 

100〜120くらいあると生きやすいと思う。ちょっとした集団のリーダーぐらいできそう。

わたしと兄は昔から仲が悪くて、それも知能の差なんじゃないかと思っている。

 

私は子どもの頃から「変わってる」「難しい性格」と言われ続けた。

何がどう変わっているのか、聞いても誰も正確に教えてくれなかったけど。

とにかく人から否定ばかりされて生きてきた(自分からの印象論)。

家族の中でもきょうだいのなかでもいつもはみ出しもので、すぐに仲間はずれになる。

学校にいっても無視の対象で、でもなんでなのかいまだに全然わからない。

当時は自分がおかしいのではなくて、いじめはする側に問題があると思っていたから、

自分に何かあるなんて思っていなかった。

でも最近、境界知能という言葉が流行ったおかげで、自分これかもなと思い、境界知能の人は他人とうまくコミュニケーションをとれないとも知って、もしかしてやっぱり?となった。

 

とにかく生きづらい。学生生活はバカを隠して生きてきた。

高校受験の際には「志望校変えろ」と担任教諭と塾の先生から言われたのに無理やり受けて。

結果受かったけど入試もほとんど最下層にいたし、入学後の数学の小テストではなかなか合格できなくて同じ試験を7回も受けた。大学受験は最初からセンター利用するつもりはなく、小論文と面接だけの推薦入試。そのため定期考査に集中した。

知能って結局身体能力にも影響するんだと思うけど、勉強だけじゃなくて運動もまったくできなくて、県の体力テストで女子で下から3番目とかだった。

当然部活でも高総体なんか出場できなくて、万年補欠だった。

 

大学はいわゆるFランだから授業についていけないとかはないんだけど、ある民間資格を受けるときにクラスで自分だけ落ちたりもした。合格率は85%とかのやつ。

 

なんかもう何やってもだめな感じだった。

だから資格試験とかもう受けないと決めた。恥をかくから。

ということで運転免許すらもってない。

 

人に好かれない理由は正直わからない。だってわたし悪口とか言わないし、ポジティブな声がけしかしない。なのに気づくと「みんなから嫌われてるよ!」と指摘される。

見た目も原因かもしれない。

 

身長150㎝ぐらいしかなくてブスだから。

 

境界知能でADHDでブスでチビだと人生本当に生きづらい。

いるだけで嫌われる。何にも悪いことしてない(と本気で思っている)のに。

 

せめて普通に働きたいと思っているけど、どの職場に行ってもハブられて孤立する。

転職しすぎてもう行き先ないし。あってもブラック企業だけ。

 

ほんっと福祉の対象にしてほしい。

ふつうのひともこんなに生きづらいのかね?

みんなそうだけど、表向きなんでもないように振る舞ってるんか?

違うよね、きっと。

 

 

 

 

 

フリーランスから働き手再挑戦!ならず落ち続けるパート職探し#

出産前にすでにフリーランスになっていた私は産後無職になり、

そして子どもが1歳になる頃にサードマン的な人が現れ、

細々とだがこれまで自宅保育をしながらフリーランスとして働けている。

でも気づけば子どもも3歳でそろそろ保育園。

時間が余る。

しかもこのタイミングでフリーランスの仕事が大幅に減る予定だ

(というか場合によっては全部なくなるかも)。

崖っぷち。

 

ということで本格的に仕事探しをしようと思いたった。

まずは時短正社員のエージェントに再登録して面談、たくさん求人を紹介してくれたので

片っ端から受ければ1社くらい面接いけるんじゃね?と思っていた。

けど去年の12月から30社くらい応募しても1社も書類が通らない。

そして子どもも暇を持て余しているので、子連れで行けるマザーズハローワークに行った。

子どもはそこの遊び場をとても気に入って、私も仕事探しに集中できてよかった。

キャリアカウンセリングを受けると

「正社員じゃなくてパートでいいのでは?キャリアがあるのだから

お子さんに手がかからなくなったら正社員にチャレンジしては」

といわれ、それもそうだなと思い、パート枠として職探しをし始めた。

 

まだこの頃は気力はあったので、一気に12社ぐらい申し込んだ。

だけどパートアルバイトでも落ちる落ちる。

書類落ちも多いけど、

例えば2時間だけの清掃パートとかは面接で落ちた。

 

人気のなさそうな求人に応募しているつもりなのに、それすら通らないんだ。。。

 

冷静に考えると自分は39歳。子(しかも幼児)持ち。

これからずっとパートでいいんだっけ?と今度は軸がブレ出した。

今を逃すともっと正社員で就職しづらくなるのでは?

キャリアキャリア」といわれたけど、私にキャリアなんてないし。

 

正社員時代を思い出し、なんとなく昔の同僚が気になって検索してみたら、

まだみんな置かれた場所でしっかり仕事を続けているようだった。

「産休とりました。周りの理解が合って助かります」(社員Aさん)

自分がいた頃は産休育休もなかった会社も、いつの間にか時代に合わせて

離職率が低い職場へと変わっていた。コロナもあってリモートとなり、

時短正社員で羨ましい働き方になっていた。

 

あの頃は年収400万くらいで今は100万もない。

生涯年収であの子たちといくらの差が開くんだろうと思ったら、恐ろしくなった。

今更。

私はいまとっても楽な働き方をしているけど、メリットは何もない。

強いて言うなら3歳までの保育料を払わずに済んできたことぐらい。

人間関係のストレスはないけれど、暇という異次元のストレスがあるから

結局ストレス総量は変わらない気がする。

 

暇は子育てにも良くなくて、私みたいにそもそも子どもと接するのが

得意でないひとにとっては、やることないから1日中子どもにテレビをみせることになる。

2歳頃までは一所懸命外に連れ出したりもしていたけど、

3歳になってyoutubeやゲームを覚えて子どもの方から外に出なくなった。

自分は仕事もできないうえに育児もできないと思い知る。

 

話は脱線したけど、結局最後のチャンスは30代前半にあったのだなと思う。

そこまでは「新人枠」として、平社員の募集枠でも採用があったのだと。

当時いたIT企業では数字が出せないことによる不安感が強く、

メンタルクリニックをはしごしていた。

適応障害と診断された。

配置転換をしていただき、辞めたくないとなんとかしがみついていたものの、

そこの部署飲みで自分だけ誘われなかったりして、ほんと惨めで、

でも今考えるとそんな理由で?辞めてしまった。

実際にはチームリーダーから嫌な扱いを受けたりもしたのだけど。

 

人間関係でつまずきやすく、仕事もできないのは

自分が境界知能とか発達障害だからなのだろう。

薄々気づいていたけど直視したくなくて確定診断は避けてきたけど、

もう人生に完全に行き詰まってしまったので近々再び心療内科(精神科?)に行く予定。

 

そして今後は障がい者として無職で生きていくか、

作業所といわれるところで働くかするつもりです。

それか⚪︎ぬしかない。

 

こんな私でも子どもの頃の夢はバリキャリでした。笑

総合職で部下を率いるカッコ良い女性に憧れていました。

でも大企業は一流大学しか採用しないし、SPIみたいなテストでどのみちひっかかるし、

仮に入っても人に好かれなくて昇進しなかったんだろうなと思う。

 

だからこそ今の状況が本当に辛い。

無職でうつで寝てばかりのお母さん。

子どもから見た今の私はそうなんだと。

 

仕事が好きなお母さん、働くカッコ良いお母さんでいたかったな。

 

不妊治療で授かった大事な子ども。

手術の後遺症による早発閉経で、35歳ラストチャンスで産んだ。(38歳で完全に閉経した)

 

普通になりたかった。

好きな仕事をして、結婚して、子どもを産んで。

でもその先は何もなかった。

 

 

 

 

社会的価値の低い仕事

批判覚悟で書くけど、なんで産後1年以内の女性でも結構な割合で働いてるんだろう。

ぶっちゃけ0歳の赤ちゃんを保育園に預けてまで働く仕事って何ですか?

 

「必要のない仕事などない」って綺麗事いうひといるけど、

たとえば私が出産直前までしていた出版社のファッション誌(WEB版)の編集なんて

誰の役にも立ってなかったし、世の中に必要のない娯楽を垂れ流すだけでしたけどね。

それで思ったのよ。

0歳で子どもを保育園に預けなければうちの近所では3歳まで入れないって知ってるけど、

貴重な0歳(私は病気で閉経したので1人しか産めない)、しかもただ寝んねしてるだけの

何もできない子どもをわざわざ揺すり起こして毎日汗水垂らして

保育園に送り届けるのって、母親側も大変ではないですか???

1歳から保育園とかならわかる。自分もそうしようとしたから。

歩けるようにもなるし、離乳食も終わるし。

だけど0歳って。

私はそこにどうしても疑問を感じてしまったのよ。

特に自分の仕事の場合、

月30〜40万程度しか稼げないフリーランス&誰でもできる業務内容なのに

0歳を保育園に預けてまで継続する意味とは?と。

 

預けているひとたちは、、、

優良企業の正社員とかなのかな。そこまでして継続するって。

それとも医療関係者とか?社会福祉系とか?絶対世の中に必要だよね。

女社長とか?そりゃ社員の人生かかってるもんね。あるね。

あとはシングルとか、夫の収入が低すぎるとかもあるかもね。

 

でもそうでないひともいそうな気がする。

お金にも困ってないのにパートみたいな仕事のために0歳の子どもを預けるひと。

出ていくお金と労力のほうが多そう。。。

 

この夏とか特に暑いし、子どももお母さんも絶対大変だなって思う。

毎日毎日送り届けてんのかな。

炎天下、駅前にずらっと並んだママチャリのサドルとチャイルドシートが全部溶けて

ドロドロになりそうになっているのを見ると本当に思う。この国おかしいって。

 

私は結局仕事辞めて(1歳2歳で保育園落ちた)

3歳まで自宅保育することになって発狂してるけど、

0歳から保育園に預けてても発狂してただろうなと思う。

 

男女共同参画局によると、令和3(2021)年における25~44歳の女性の就業率は78.6%らしい。

 

そんなにみなさん働いているんですね。

そりゃほとんど無職に近い私は肩身狭いわけだ。

人生100年とか言われる時代に

たった1〜3年も無駄にせずに働きたいと思うお母さんって感心する。

 

 

自分に自信がないというか、はっきり言って自分が嫌い。

最近「資格」が気になっている。特に国家資格とか、難関の。

アラフォーにもなるのに一つも資格ないんだわ。

20代までは別にそれでいいと思ってたんだけど。

なんも専門性もたずに生きてきたから、自分は何の人なのかわからなくなった。

 

試験が嫌いだし、コツコツ勉強が苦手で避けてきたんだけど、

避ければ避けるほどどんどん卑屈な自分になってくる。

 

子どもに当たり散らすのも結局自分に自信がないからなのではと思っている。

子どもがムカつくんじゃなくて何もできない自分がむかつくんだ。

 

夫には「運転免許ないやつに運転について色々いわれたくない」といわれるし。

運転免許はほしいと思わなかったからとってないんだけど、なぜか最近になって気になり出した。

だけど筆記でつまずきそうだな。。

「勉強しなきゃいけないからお前には無理だね(笑)」と夫にからかわれて、内心図星だから余計に腹が立った。

 

どうせ自分にはできない。

 

試験の何が嫌かって、すごく緊張する点。

病的なあがり症だから実力が発揮できないことが多い。

あとはさっきも書いたコツコツ勉強が苦手。

はっきりいって障害か何かだと思う。

 

あまりに頭悪すぎて病院に行ったほうがいいのでは、と思ったこともある。

てか今も思ってる。

 

・小学生の頃、珠算3級の試験に5回くらい落ちて、家族から笑いものにされた。

・中学生の頃、クラスを代表して作らなくちゃいけなかった提出物が締め切りに間に合わなくて文化祭でクラス全体が失格扱いになった。コツコツできていれば防げただろう。

・高校生の頃、90点以上とるまで再試させられる数学の小テストがあって再7テストまでいった。学年300人いて女子は一人だけだった。結局解き方わからなくてカンニングして合格した。

・大学生の頃、合格率80パーセントのとある民間資格をノー勉で受けて落ちた。勉強してないからとはいえ80パーセントって。。。

 

という感じで恥をかいてばかりいた。

だからなのか試験という試験はトラウマでしかない。

 

それでも挑戦してみるべきなのだろうか。。

 

それともできないことを無理してやらずに、できることだけやって生きていったほうが自分のメンタルのためにはいいのだろうか。

 

たとえば然るべき機関にいって、知的障害とはっきり認定してもらったほうが、これからのチャレンジはしやすいのだろうか。

もう人から小馬鹿にされずに済むんだろうか。

本気で悩んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでのこと。

22歳からずっと紙の編集者をしていた。

仕事はとても楽しくて、天職だと日々感じていた。

ブラック企業に入ったり出たりして、それでもいつか自分好みの媒体で編集者として働くことを夢見ていた。

転職活動を繰り返しているうちに、時代はものすごい勢いで変わっていった。

インターネットが、スマホがやってきた。

 

「最新カタログ」ーー

こんなタイトルの特集を組むでしょ?

自分で名付けておきながらなんだけど、(いやいや最新じゃないでしょ、明らかネットより遅いでしょ)とか思うのよ。

 

取材先からもね、問い合わせ先にURL入れてくれって頼まれるわけ。

でもwww.とかって文字追いながら、(いやこれ誰も見て直打ちしないでしょ)と思うわけ。

 

しまいには「いまどき雑誌に載ったってなんのメリットもないんで」と取材交渉の段階で華麗に断られる。(ですよねぇ)

 

そんなことを繰り返しているうちに、ネットいいなぁとか思うようになるでしょ?

でも心では魅力を感じてないわけよ。

なんでかって、WEBサイトってどんなに凝ったつくりでも、なぜか記憶に残らないのよ。(あくまで個人の見解です)

こんなサイトつくってみたいなぁとか思わないわけ。

 

紙の編集を10年やってね、そろそろ独立してーなーって思ってね、フリーの仕事も探したよ。

探して面接受けたらさ、「いまWEBの編集者探してるんです」だって。(おいおい、履歴書ちゃんと見とけよ)

 

ライティングが好きでね、ライター寄りの編集者だったらまだよかったのかも。

でもあいにくライティングに興味が薄く。

なるべく避けて避けて通ってきたわけ。

 

そうはいっても時代の流れには抗えないから、とりあえずWEBメディアに行ってみたよね。

そしたらびっくり。CTRとかPVが評価軸なんですね。

雑誌は買ってもらってる前提で書いてるから、引きのないタイトルを堂々とつけてたわ。

しばらくそのベンチャー企業で働いてみたけど、こりゃできねえわ! って諦めた。

だってカルチャーというか常識が違いすぎて染まれなかったし、自分にはPVを上げる能力がないって思い知ったから。

というか、やっぱネットの仕事つまんねって思った。

そこは特にコタツ記事だったしね。

 

うすうす感じてはいたけど、紙からWEBって、わたしのしたいことじゃないのよね。

でもこの先ずっと需要のない紙のお仕事を続けるのも苦痛。

 

気づけば30代半ば。

やっぱ出版のカルチャーがいいよなぁという気持ちと、でも紙には戻れないという気持ちで大手出版社のWEBメディアに潜り込む。

 

ブラック企業を渡り歩いてきたこんなわたしに務まるのかしらとワクテカしてたけど、え、うっそお、余裕で務まる。

 

なぜなら本誌転載。

どこを編集するんですかー。

 

この虚しい気持ち、誰かわかりますかね。夢を追っている間に時代が変わって、夢が夢でなくなって。ボロボロになるまで頑張った自分には何も残ってなくて。いまやアラフォーの立派なBBA。

 

さあわたしはこれからどこへ向かっていくのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

ブログを消して再出発。

10年くらい続けていたはてなブログを削除した。

理由は簡単で書くことがなくなったから。

女の人生。。働きかたとか人間関係について書いていたけど、子どもを産んで専業主婦になって、誰とも関わらなくなって何を書けばいいのかわからなくなったし、ずっと新生児のお世話に追われていて時間がなかった。

 

が、子どもがもうすぐ1歳になるとなって「あれ、わたしこれからどうするんだ」となった。

 

出産がゴールでそのあとの生活なんか考えてなかった。結婚した時と似ているな。

 

ついこの間、0歳の赤ちゃんだけが通える区のママ同士の集まりみたいなので、進行役を担っている保健師さんに「kosuzuxさんは1歳から保育園?」と聞かれた。

「いやまだです、。、。」と気まずい雰囲気になった。

世の中、産後すぐから働く女性のほうが多くて、わたしみたいにだらだら無職をしているひとは少ない。

 

いや、それより何よりショックだったのは、この保健師さんに子どもとの写真撮影を断られたことだったんだけど。「(1年間通った)記念に」とお願いしたら迷惑そうな顔をして「今日化粧してないからww」と(めっちゃしてるくせに)。

 

そのとき、この1年誰とも関わりがなくて、義両親さえ会いにきてくれなくて、ずっと家にこもって赤ちゃんとしか向かい合っていない自分が恥ずかしく、虚しく感じた。

 

わたしにはこれくらいしか思い出がなかったんだなぁと。